ひらい圓蔵亭 落語“中村仲蔵”~歌舞伎役者・初代中村仲蔵と平井村の縁【江戸川歴史散策】
先日、また「ひらい圓蔵亭」にお邪魔してきました。館長さんがいらっしゃったので、“江戸川区と落語文化”についてお話を伺うことができました。
館長さんには以前にもお話を伺っています。
>>>落語文化発信拠点「ひらい圓蔵亭」 落語”道灌”・”紀州”~吉宗と小松菜【江戸川歴史散策】
>>>ひらい圓藏亭のイベントを見る(江戸川区公式ホームページ・外部リンク)
江戸川区と落語文化の話の中で、館長さんが「六代目三遊亭圓生師匠の人情噺『中村仲蔵』の仲蔵が江戸川区の平井に深い縁がある」ということを教えてくれました。
人情噺『中村仲蔵』(なかむらなかぞう)とは次のようなものです。六代目三遊亭圓生の口演より引用します。
人情噺『中村仲蔵』(なかむらなかぞう)
仲村仲蔵という人のお噺で、四代目市川團十郎に認められ人気が上り「仮名手本忠臣蔵」五段目・斧定九郎を演じ大評判になり一代で仲村仲蔵の名を大名跡にした江戸時代中期の歌舞伎役者でございます。 小さいときは万蔵と申しました。
その当時、中山小十郎という中村座に出勤をしていました長唄の師匠。声もよく、なかなかの評判のいい人でございまして、女房をお俊といい、夫婦仲もしごく良いが、子どもとゆうものに恵まれませんで、どうにかして子どもが欲しい、自分の跡取りをのこしたいとの思いがございました。しかし、こればかりはどうにも勝手になるわけではありませんで・・・。
えー、この夫婦は平井村の聖天様を大変信仰していまして、月に一度は必ずお詣りに行きました。今は平井というところは江戸川区ですが、昔はあそこは村でありまして、なかなか聖天様にお参りするのは大変で、途中に中川という川がありまして、この渡しで越えて向側に行くわけです。
月に一度は来るから、もう船頭とも顔なじみになっておりまして、ちょうど寒いさなか、船が出るまで焚火をしている。お俊がお詣りにきて焚火に手をかざしながらひょいとみる。歳は五歳ぐらいでしょうか。男の子で、ぼろは着ていますが、目の中が誠に清く澄んでおりまして、顔立ちもよく、なんとも見るからに利口そうな子でした。
「たいそう良い子じゃないか、船頭さんお前さんの子かい」
「いや~、妹の子だが~、両親とも死んでしまって、どこぞに貰い手でもあればと思っているんだがね~」
「そりゃありがたいね~、どうだろう私のところに養子にもらえないかね」
「そうしてやってくださればこの子も幸せでがす」
「それじゃー、明後日いい日だから、その子どもを連れて家に来てください」
結納金として一両+五両を渡しまして、
「そのかわり、この子がどんなもんになっても親戚付き合いはしないから、縁を切ってもらいますよ」と約束をした。夫婦は大変子どもをかわいがりましたが、長唄を教えるがものにならず、そこで
六代目三遊亭圓生の口演より
「顔立ちがいいのだから役者にしよう」と、万蔵六歳の春、3代目中村伝次郎の門下に加わり、踊りの師匠のところに通わせたところ、これが身にあったのか、めきめきと力をつけていきました・・・。
これからが噺の本題に入るところですが、その後の中村仲蔵の大名跡の話は、ひらい円蔵亭にて、圓生、正蔵師匠のお噺を聞いていただきたいと思います。
さて、今回の江戸川歴史散策では、このお噺に登場する仲蔵とお俊の出会いの場所である「平井の渡し」、毎月お詣りに訪れていた「平井の聖天様」、そして、仲蔵が斧定九郎役作りに悩み願掛けに日参した「柳嶋の妙見様」を紹介します。
「平井の渡し」「平井聖天様」「柳嶋の妙見様」
「ひらい円蔵亭」を出発
スタートはJR平井駅からがわりやすのですが、せっかく六代目圓生師匠の仲村仲蔵の人情噺を聞いた後なので、ひらい圓蔵亭(八代目橘家圓蔵師匠宅)からスタートすることにしました。
ひらい圓蔵亭から「平井の渡し場」に向かうコースは二通り。
一つは、平井商店街からJR平井駅(南口)に向かい、駅北口のロータリーを抜けて蔵前通りを渡り平井橋に向かうルート。およそ1キロメートルです。
もう一つのルートは、ひらい圓蔵亭から旧中川の整備された河川敷を川上に歩くルート。ひらい圓蔵亭を出て旧中川に向かうと浅間神社・逆井の富士塚(区内最大最古の富士塚)に突き当たります。そこを川上に向かうと「ふれあい橋」の入口が見えてきますので、そこから旧中川の河川敷におりていきます。きれいに整備された緑道を川上に向かい蔵前通りに架かる江東新橋をくぐり、北十間川の入り口を対岸に見て川上に700メートルほど進むと平井橋(「平井の渡し」)に着きます。およそ2キロメートルです。
ふれあい橋から旧中川の河川敷を北上していきます。
平井の渡し~仲蔵とお俊の出会いの場所
「平井の渡し」は、中川(旧中川)を渡る行徳道の渡し場です。江戸時代には、平井聖天への参詣路として賑わいました。行徳道は平井の渡しから四股で元佐倉道と交差して、東小松川村、西一之江村、東一之江村、を経て「今井の渡し」に達する道筋を行徳道と呼んでいました。庶民は、この道を千葉県の成田山参詣路として利用していました。逆に、江戸方面へは、「平井の渡し」を渡って浅草の観音様への参詣に利用していました。「平井の渡し」は、明治32年に平井橋が旧中川に架かるまで運営されていました。現在の平井橋は昭和55年に架け替えられたものです。(江戸川区・文化財・史跡)
現在、「渡し場跡」は残念ながらありません。平井橋の脇に「平井の渡し跡」の案内板があるだけです。
お俊がお詣りに訪れていた平井聖天様
そもそも、万蔵(仲蔵)とお俊が出会うことができたのは、お俊が平井村の聖天様に毎月お詣りに来ていたからです。ということで、「平井の渡し」から平井聖天様に向かいました。聖天様はこの「平井の渡し」から100メートルほど先です。
平井聖天燈明寺(平井の聖天)は、関東三大聖天(埼玉県妻沼聖天・浅草待乳山聖天)の一つとして知られ、墨東屈指の名刹として多くの人々の信仰を集めています。江戸時代には、将軍の御善所になっており、将軍鷹狩りの際にはここに参詣していたそうです。(江戸川区の歴史と名所)
将軍徳川吉宗と鷹狩については下の記事に書いています。
>>>大岡越前が立ち寄った新堀・勝曼寺~吉宗の鷹狩り【江戸川歴史散策】
歌舞伎役者・中村仲蔵が願掛けした妙見様
妙見様(柳嶋妙見山法性寺)は、中村仲蔵が斧定九郎役作りに悩み願掛けに日参した場所です。妙見様は、旧中川(江東新橋)から北十間川(隅田川と旧中川を結ぶ、川幅十間の運河)を西に向かい横十間川と交わるところにあるのです。
現在の風景は、何といっても真正面に見えるスカイツリーでしょうか。北十軒川に架かる十間橋から川面に映る逆さスカイツリーはgoodです。柳島橋の手前の歩道橋から新年のカウントダウン点灯を見たことがありますが、感動的な美しさでした。
今回の江戸川歴史散策では、六代目三遊亭圓生の人情噺「仲村仲蔵」と江戸川区との縁の深い場所をめぐりました。旧中川には、今回紹介した「平井の渡し」のほかにも、「番所の渡し」「逆井の渡し」「中平井の渡し」がありました。またの機会にご紹介したいと思います。
せっかくなので、平井橋(「平井の渡し」)から上流も歩いてみました。河川敷全体が旧中川健康のみち(約5500メートル)として整備さているので、桜並木や小島、水鳥にも会えます。
これから涼しくなります。ひらい圓蔵亭の見学のついでに「旧平井の渡し場」を訪れてみてはいかがでしょうか。
旧中川の歴史については以下のページにて紹介しています。
>>>旧中川の歴史と風景 荒川放水路によって分断された川
散歩途中の休憩処
今回の散歩の帰り道に、仲蔵つながりで「ぱん蔵」(パン屋)に寄ってきました。パン工場直営なのでいろいろな食パンがありましたが、よくわからないので、人気の「パン蔵食パン」を買いました。
会計の時にレジの女性が笑顔で「パンのみみはいかがですか」と勧められたのでいただいてきました。焼きたてのパンのみみなので暖かく柔らかかったです。もちろんサービスでした。菓子パン、テラス、コーヒー。休憩処には最適です。