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ひらい圓蔵亭 落語”富士詣り”

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ひらい圓蔵亭 落語”富士詣り”

先日、ひらい圓蔵亭を訪れた際、館長さんが「なかなか、江戸川区を舞台にした落語の噺がないのでちょっと寂しいです」というお話しをされていました。

>>>その時のお話は「落語文化発信拠点「ひらい圓藏亭」 落語”道灌”と”紀州”」

後日、江戸川区の平井にある浅間神社の近くまできたときに、7月1日は富士山の山開きであることを思い出して、「浅間神社」「富士山」「山開き」「富士塚」が思い浮かびました(静岡側は7月10日です)。

落語「富士詣り」

江戸時代には、村や集落を中心に様々な「講」がありました。そのなかのひとつ、富士山信仰の仲間の集まりが「冨士講」です。富士講では、7月1日の富士山の山開きにあわせて先達さん(世話人)が講中(仲間)をつれて、富士山にお参りにいく行事が行われていました。

山岳信仰の講には、「冨士講」のほかにも「大山講」などもありました。どちらも落語の題材になっていて、落語「大山詣り」は、六代目円生、五代目志ん生など昭和の名人が好んで演じました。

ここでは、落語「富士詣り」を紹介しましょう。
この噺は、まさに冨士講の世話人の先達さんが、講中(仲間)を「富士詣り」につれて行くが.......というものです。

長屋の連中が、日頃の煩悩を清めようと富士山詣りに参加することになったことからはじまります。

江戸っ子たちは、口は達者だが足の方は“からっきし”。
山登りを始めると「山登りは天気が一番だね、雨はよくないよ、梅雨のときは特に嫌いだね、だからそばを食べるときはつゆをつけずに、汁で食う」なんと言う話をしながら、登っていくうちに雲行きが怪しくなってきた。

先達さんが「一雨どころじゃないね、山は大荒れするよ」、「この中に悪いことをしているやつがいる、そういう者が講中に混じっていると富士山がこらしめるために荒れるんだ、それから天狗とが出てきて.......」と大騒ぎ。

そこへ男が飛び込んできて、講中の二人が青い顔になってひっくり返ったという。すると、先達さんが「ああ、たぶん山に酔ったんだろう。ちょうどここらが五合目あたりだ」という落ちであります。

落語にもなるくらいですから、当時は「冨士講」による富士詣りが相当流行っていたのでしょう。

ひらい圓蔵亭で、ぜひ「●●●詣り」を聴きたいですね。

篠崎の浅間神社

山岳信仰の中で、富士山信仰の神社として浅間神社があります。江戸川区内でもっとも古い篠崎の浅間神社では、富士山の山開きに合わせて幟祭り(隔年)が行われます。この幟祭りでは高さ12間(22メートル)、重さ1トンの杉丸太に幟を取り付けて人力で立てる壮大なお祭りです。なんと、幟柱の数は10本!1本立てるに要する時間は30分以上かかります。

>>>篠崎浅間神社の幟まつりの様子を江戸川区公式ホームページで見る(外部リンク)

平井の浅間神社

また、江戸川区の平井にある浅間神社は、富士塚そのものが浅間神社になっているのだそうです。「逆井の富士塚」と呼ばれていて、高さ5メートル、登山道は下の写真のように、直線で22段の石段になっています。登山道の両脇には様々な「講」の石碑が立てられていて、頂上には「祠」があります。昔は、山頂に登ると西の方に富士山が望めたのでしょうが、今はマンション群で遮られて、残念ながら富士山を見ることができません。いまは、ここから北西の方向にはスカイツリーが望めます。

画像 逆井の富士塚(平井の浅間神社)
逆井の富士塚(平井の浅間神社)

「富士塚」は、富士山信仰の仲間の集まりである「冨士講」が身近なところで富士山にお参りできるようにと造営したものが多く、「逆井の富士塚」は江戸川区の中で最大最古の富士塚と言われていています。『江戸川区史』によると、この「逆井の富士塚」がたつ平井の浅間神社は長享2年(1488)に創建されたとあります。なんと、530年以上も前のことです。

逆井の富士塚
昭和57年(1982)2月登録
区 登録有形民俗文化財・民俗資料
高さ約5m、区内で最大のものです。建造年代は不明ですが、「当山再築小松川村」と記した明治17年の碑がありますので、区内で最も古い築造です。
登山道は、塚の正面に直線で設けられ、石段になっています。頂上の部分を玉垣で方形にとり囲み、石祠を祀っています。登山道の両側には、数多くの石碑が建てられ、地元の丸岩講のもののほか、小松川山元講や平井丸富講の碑もあります。
この逆井戸の富士塚そのものが浅間神社です。旧逆井村の人々が、今でもその維持にあたっています。7月1日に幟を立てて祭礼を行います。
石積み型の大型なもので、倒壊防止のため、昭和30年代にコンクリートで覆いました。
昭和53年3月設置 平成17年11月改訂 江戸川区教育委員会

江戸川区には富士塚が多い

江戸川区は、東京=23区でも冨士塚がもっとも多くあるそうです。多く残っている理由は、

  1. 冨士講そのものが多かった
  2. 川が多く水運を利用して富士山の溶岩を運びやすかった
  3. 戦災の被害が少なかった。

ことのようです。

また、富士山の山開きに合わせて7ヶ所の浅間神社をお参りする「七所浅間参り」が行われていました。新堀日枝神社内の浅間神社から始まり、篠崎、埼玉、松戸船橋方面を廻って帰ってきたそうです。(『江戸川区の民俗』)

太田道灌と平井のかかわり

余談ですが、平井浅間神社(「逆井の冨士塚」)は平井白髭神社の境外末社です。白髭神社は平井村草創以来の鎮守であり、健治年間(1275-1278)創建とされています。室町時代後期から太田道灌の家老の土谷相模の守が当地周辺を所領し、後に当地に居住して以来、氏子総代を代々勤めてきたそうです。(『江戸川区史』)

画像 平井村の鎮守 白髭神社
平井村の鎮守 白髭神社

前回、小松川境川と太田道灌との関わりを紹介しましたが、太田道灌平井にも深い関わりがあったようです。

>>>「落語文化発信拠点「ひらい圓藏亭」 落語”道灌”と”紀州”」を見る

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