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松尾芭蕉も通った旧江戸川と新川 『鹿島紀行(鹿島詣)』(1687)

松尾芭蕉も通った旧江戸川と新川 『鹿島紀行(鹿島詣)』(1687)

俳聖として知られる松尾芭蕉。芭蕉は現在の三重県伊賀市に生まれた俳人。京都で俳人・北村季吟に師事し、俳諧の道に入る。1674(1672?)年に江戸へ移り住みました。1680年頃には俳句宗匠としての華やかな生活を捨て、日本橋から深川の草庵へ移りました。この草庵は、門人から贈られた芭蕉の株が生い茂ったところから「芭蕉庵」と呼ばれました。その後、俳号も「桃青」から「芭蕉」に改めています。

『鹿島紀行(鹿島詣)』貞享4年(1687)は、月見をかねて鹿島の根本寺の仏頂和尚を訪ねたときの紀行文です。

『鹿島紀行(鹿島詣)』

貞享4年(1688)8月、門人の曽良と僧の宗波をともない、常陸鹿島(茨城県鹿嶋市)の月見に出かけました。深川からは舟で行徳に出て、鎌ケ谷から布佐までは歩き、夜舟で鹿島に到着しました。仏頂和尚を訪れ月見、そして鹿島神宮参拝。帰りは、潮来(茨城県)の古くからの知人、本間自準宅を訪れ一泊しました。

画像 鹿島紀行のルート
芭蕉が歩いた鹿島紀行のルート

芭蕉は、深川の芭蕉庵から船で小名木川新川旧江戸川を通り、行徳にでています。

>>>「小名木川の歴史と風景 小名木川と旧中川・墨田川との合流地点」を見る
>>>「新川の歴史と風景 新川と中川の合流地点(西水門)」を見る
>>>「旧江戸川の歴史と風景 江戸川水門と常夜灯」を見る

芭蕉が通ったルートをたどってみる

小名木川にかかる萬年橋

芭蕉庵近くの橋。隅田川から小名木川に入って最初の橋です。

画像 萬年橋

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画像 小名木川水門

(小名木川水門)

小名木川を東に真っすぐ進む。

画像 小名木川

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小名木川と旧中川との合流地点

萬年橋から小名木川を東に進むと中川(現在の旧中川)と合流する。下の絵のように、江戸時代には、小名木川、新川、中川が交差していた。明治時代につくられた荒川放水路(現在の荒川)によって、江戸時代からの水路が分断された(中川船番所資料館資料)。

>>>「中川船番所資料館に旧中川と小名木川の歴史資料を見に行ってきた」を見る

画像 江戸時代の小名木川、中川、新川の合流地点

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現在の小名木川と旧中川の合流地点

画像 小名木川と旧中川との合流地点

旧中川と荒川の合流地点

現在は、旧中川と荒川の合流地点には荒川ロックゲートが設置されている。

>>>「荒川ロックゲートの風景 旧中川と荒川の合流地点」を見る

画像 荒川ロックゲート

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現在の旧中川、荒川、中川、新川付近の地図

小名木川から旧中川、荒川ロックゲートを通ると、荒川に出る。しかし、現在、荒川から中川、新川への行くことができない。

中川と新川の合流地点(新川西水門)。

画像 新川と荒川・中川の合流地点(新川西水門)

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新川に入って、真っすぐ東に進む。

画像 新川

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画像 桜の季節の新川

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新川と旧江戸川の合流地点

新川東水門。水門入口までしか船は入ることができない。

画像 新川東水門

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旧江戸川

新川を出て、旧江戸川を上流に進む。新中川との合流地点。旧江戸川をさかのぼる(左へ)。

松尾芭蕉による「旧江戸川の水」を詠んだ句がある。熊野神社(江戸川区)の境内には、松尾芭蕉の句碑がある。
当時、芭蕉は深川に住んでいたが、おくまんだしの水を訪れ、
茶水汲む おくまんだしや 松の花
の一句を詠んだと伝えられているらしい。この句が鹿島紀行の際に詠まれたものかは確認していない(筆者注)。

>>>「江戸時代の旧江戸川の水は将軍も使う”名水”だった」を見る

画像 旧江戸川と新中川との合流地点

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画像 行徳 常夜灯

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>>>「小名木川の歴史と風景 小名木川と旧中川・墨田川との合流地点」を見る
>>>「新川の歴史と風景 新川と中川の合流地点(西水門)」を見る
>>>「旧江戸川の歴史と風景 江戸川水門と常夜灯」を見る

芭蕉の紀行文

  • 『野ざらし紀行』貞享2年(1685)
    出身地である伊賀上野への旅を記した俳諧紀行文
  • 「古池や蛙飛びこむ水の音」貞享3年(1686)
  • 『鹿島紀行(鹿島詣)』貞享4年(1687)
    月見をかねて鹿島の根本寺の仏頂和尚を訪ねたときの紀行文
  • 『笈の小文(おいのこぶみ)』貞享4年(1687)
    尾張・伊賀・伊勢・大和・紀伊を経て、須磨・明石を遊覧したときの紀行文
  • 元禄元年(1688) 『更科紀行』
    名古屋から木曽路、更科姨捨山(おばすてやま)の月見をして江戸に帰ったときの紀行文
  • 元禄2年(1689) 『おくの細道』
    奥州、北陸道を巡った紀行文

芭蕉記念館

東京都江東区にある「芭蕉記念館」は、俳聖・松尾芭蕉をはじめとする江戸時代から現代までの俳句や文学関係の貴重な資料を所蔵・展示している。1981年4月に東京都江東区が松尾芭蕉ゆかりの地である深川に開館。

都営新宿線森下駅下車。

画像 芭蕉記念館

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芭蕉の旅とその足跡

芭蕉の旅とその足跡

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芭蕉の旅の句

画像 芭蕉の旅の句

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芭蕉と深川の展示

画像 芭蕉資料館の展示(芭蕉と深川)

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おくの細道の旅

「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」で始まる『おくの細道』。芭蕉は深川から弟子の河合曾良(かわいそら)を伴い旅に出たと伝えられている。下の写真は、旅立ちの様子の和紙人形

画像 おくの細道への旅立ち(和紙人形)

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画像 おくの細道への旅立ち(和紙人形)

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江東区内の句碑・史跡などの展示

画像 江東区内の句碑・史跡などの展示

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芭蕉稲荷神社

  • 1694(元禄7)年10月12日芭蕉が大阪で没。
  • 1697(元禄10)年に庵のあった一帯は信濃国飯山藩・松平遠江守忠喬の下屋敷に取り込まれる。
  • 幕末から明治にかけて、庵が消失。
  • 1917(大正6)年、台風による高潮がこの地を襲った後、現在地で芭蕉遺愛のものとみられる石蛙が発見される(下の写真)。
  • 石蛙を御神体として稲荷を祀り芭蕉稲荷神社が創建。
  • 1921(大正10)年11月、東京府は常盤1-3付近を芭蕉庵跡と推認し、旧跡「芭蕉翁古池の跡」に指定。
  • 1945(昭和20)年、戦災により荒廃したが、地元の芭蕉遺跡保存会によって1955(昭和30)年再建。

画像 芭蕉稲荷神社

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芭蕉遺愛の石の蛙(伝)

画像 芭蕉遺愛の石の蛙

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芭蕉遺愛の石の蛙(伝)
芭蕉が深川芭蕉庵において愛好していたと伝えられる石の蛙。小松石を彫ったもので、縦26cm、横20cm。高さ6cmの台座に、蛙の体長は21cm。

芭蕉庵は芭蕉没後、武家屋敷内に取り込まれて保存されましたが、幕末から明治にかけて消失してしまいます。その後1917年9月に起きた台風の高潮災害により、常盤一丁目から「芭蕉遺愛の石の蛙」が出土。それを受け、東京府は江東区深川を「芭蕉翁古池の跡」と指定しました。

江東区芭蕉庵史跡展望庭園

芭蕉記念館から3分ほどの場所にある芭蕉庵史跡展望庭園からは隅田川と小名木川を眺望することができる。

画像 江東区芭蕉庵史跡展望庭園 入口

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画像 芭蕉像

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台座には以下の文章が刻まれている。

この像は、芭蕉の古参門人で経済的な庇護者であり、深川芭蕉庵の提供者ともいわれる杉山杉風(1647~1732)が画き、京都の画家 吉田偃武(えんぶ)が忠実に模写した芭蕉翁之像畫により作成したものです。
(原画 岐阜県高山市 加藤 功氏 蔵)

隅田川を望む。

画像 芭蕉像

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隅田川と小名木川の合流地点

隅田川は、右側から奥に流れる。左への流れは小名木川。

画像 隅田川と小名木川

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