上小岩遺跡と上小岩親水緑道の風景
上小岩遺跡
奈良の東大寺正倉院に現存する『下総国葛飾郡大嶋郷戸籍』に、現在確認されている文字による記録の中で、江戸川区に関する最も古い記録があります。
ここには、大嶋郷には、甲和里(こうわり)、嶋俣里(しままたり)、仲村里(なかむらり)があったとあります。甲和里は現在の「小岩」と考えられています。戸籍ができた当時は、甲和里には450人が住んでいたそうです。
上小岩遺跡は、上小岩小学校あたりを中心に、北小岩六・七丁目付近に広がっています。
昭和二十七年に、小岩第三中学校の生徒が自宅裏の用水路から土器片を発見し、同校の中村進教諭に知らせたことから、その存在が知られるようになりました。その後、多くの人びとにより発掘調査が進められ、古墳時代の前期(今から約1600年前)を中心とする遺跡であることがわかりました。
出土品は、弥生中期から古墳時代前期の土器類が主で、東海地方との交流のあったことを示す土器も出土しています。また、漁労に用いた土錘も少なくないことから、半農半漁の生活をしていたこともうかがえます。この地の黎明期の様子を伝える遺跡です。
平成三年春 江戸川区
北小岩の上小岩遺跡は江戸川区内最古で最大規模を持つ遺跡です。この遺跡は昭和27年に当時の中学生の土器片の発見がきっかけとなって、遺跡の発見につながりました。
住居の跡は発見されてはいませんが、昭和59年(1984)に発見された古墳時代前期と推定される遺構の中には、竪穴住居の可能性もあるようです。弥生時代中頃には人が住み始めていた事が確認され、古墳時代には大きな集落があったようです。
上小岩遺跡からは13~14世紀にかけてと16世紀の遺物が出土しています。13~14世紀にかけては、この地が伊勢神宮の荘園 (「葛西御厨」と呼ばれる) であった時期です。また、16世紀は葛西城(葛飾区)が後北条氏の勢力下にあった時期でもあります。
江戸川区立図書館デジタルアーカイブには、昭和59年3月に作成された『上小岩遺跡遺構確認試掘調査概要報告書』および『上小岩遺跡発掘調査報告書』が公開されています。
>>> 江戸川区立図書館デジタルアーカイブ を見る(外部リンク)
上小岩親水緑道
上小岩親水緑道は、平成3年(1991)3月に完成しました。延べ長さ950メートル。平成12年度には、「健康の道」として整備されました。