海岸水門が遺構として整備されました【2020年3月】
1957(昭和32)年に葛西海岸堤防の一部としてつくられた海岸水門が、2020年3月に遺構として整備されました。
「葛西沖と海岸水門」 遺構案内板
以下、「葛西沖と海岸水門」からの引用です。
かつて、ここは江戸川の古い支流であった左近川の河口でした。ここより先は葛西沖と呼ばれる海域であり、伊勢湾や有明海と並ぶ全国有数の千潟である三枚洲が広がっていました。名産の葛西海苔やアサリ·ハマグリなど海の幸が豊富に採れる漁業の村であり、地域に暮らす人びとにとっては海水浴やハゼ釣り、舟遊びなどでにぎわうレクリエーションの場でもありました。
人びとの生活は葛西沖がもたらす海の幸の恩恵も受けていましたが、同時に度重なる水害にも悩まされてきました。 江戸時代から明治時代にかけて葛西海岸の堤防は潮除堤と呼ばれており、 人びとを水害から守っていましたが十分ではありませんでした。
度重なる水害を経て、昭和32年4月に葛西海岸堤防が完成し、左近川の河口に海岸水門がつくられました。以後、長い間多くの人びとの生活を守りました。その後、昭和47年から始まった夢西沖の土地区画整理事業により、河口部が埋立てられたため、水門としての役割を終えました。役割を終えた今、人びとの暮らしや治水の歴史を後世に伝えるために躯体の一部を遺構として残し、憩いの場としてここに整備しました。
令和2年3月 江戸川区
海岸水門(遺構) 360度写真
360度撮影可能なカメラを活用して江戸川区の風景を撮影しました。読み込みに時間がかかる場合があります。
360度写真は海岸水門と新左近川親水公園の風景