江戸川を渡す”矢切の渡し”の歴史 金町松戸関所
元和2年(1616)、江戸幕府は利根川水系河川の街道筋の16ヵ所を定船場として指定、 それ以外の地点での渡河を禁止した。その定船場のひとつ が”矢切の渡し”である。定船場には番所が置かれ通行人を調べた。当初は 「御番所」と呼ばれていたが、のちに「御関所」と呼ばれた。小岩・市川(佐倉街道)も そのひとつである。
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現在、 矢切の渡しは東京都内に残る唯一の渡し場である。 今も手漕ぎの和船が対岸の松戸市下矢切との間を往復している。 伊藤左千夫の名作「野菊の墓」の舞台となった。
柴又公園(乗船場まで)
矢切の渡し
料金:中学生以上200円、小人(4歳~小学生)100円
渡し舟の様子
1曹に30名まで乗れる。