一之江名主屋敷 江戸時代に新田をひらいた田島家の屋敷
一之江名主屋敷は江戸時代の初期に、江戸川の地に新田をひらいた田島家の屋敷です。屋敷の北と西に屋敷林をもち、堀をめぐらした中世の武家屋敷風の構えの建物です。現存する主屋は安永年間(1772年から1780年)に再建されたものであり、約250年前のもの。創建当時の場所に建てられています。
一之江名主屋敷は東京都史跡・江戸川区史跡
入館料:100円(中学生以下は無料)
公開時間:午前10時開門から午後4時閉門まで(月曜日休館)
所在地
- 江戸川区春江町2丁目21番20号
- 都営新宿線瑞江駅から徒歩14分
一之江新田の開拓を進めた豊臣家の家臣 田島図書
豊臣家の家臣であった田島図書(たじまずしょ,元は堀田姓)が、関ケ原合戦で敗れて関東に下りました。図書は西一之江村大杉の田島庄兵衛方に寄寓し、田島姓を名のって一之江新田の開拓を進めたのです。
田島図書は、寛永5年(1628)に城立寺(一之江名主屋敷近くにある日蓮宗寺院)を開基して、寛永20年(1663)12月25日に没しました。その後、田島家は、江戸時代を通じて一之江新田の名主(なぬし)をつとめてきました。この田島家につたわる田島家文書(たじまけもんじょ)は登録文化財として指定されています。これは江戸時代から明治・大正にかけての一之江村の政治史料です。現在残っている最も古い江戸川の地の政治史料なのかもしれません。
一之江名主屋敷は2011年に江戸川区の所有となりました。2016年には歴史公園として整備され、展示室も完成しました。現在は、敷地内や主屋とともに展示室が公開され、季節ごとにさまざまな催しが行われています。
>>>「一之江名主屋敷の案内」を見る(外部リンク・江戸川区公式ホームページ)
一之江名主屋敷の年譜
- 天正4(1576) 田島図書生誕
- 慶長11(1606) 田島図書が一之江の開墾をはじめる
- 元和2(1616) 城立寺をひらく
- 安永3(1774)頃 主屋・長屋門建立
- 昭和初期頃 長屋門改造
- 昭和29(1954) 東京都旧跡に指定
- 昭和33(1958) 主屋・長屋門修理
- 昭和45(1970) 主屋修理
- 昭和56(1981) 江戸川区史跡に登録
- 平成5(1993) 主屋、長屋門復元工事
- 平成18(2006) 主屋茅葺き屋根全面葺き替え工事
- 平成28(2016) 歴史公園として整備
名主(なぬし)とは
江戸時代の村において、村の民政を行ったのが名主(なぬし)です。その多くは武士のような門構えと玄関を許され、自宅を役所としながら公務を行いました。主な任務は村ごとに課せられた年貢の取りまとめ、法令の周知、人別改め、火の用心、訴訟手続き、上納金の取り扱い、紛争の調停、無頼者の取り締まりなどだったそうです。
一之江名主屋敷 主屋
玄関と座敷、土間をそなえた茅葺の曲り家(まがりや)です。
囲炉裏では茅葺屋根の保存のために日常的に「いぶし」が行われています。薪を燃やすときの煙に含まれるタール(※木タール)が、梁や茅葺屋根、藁屋根の建材に浸透し、防虫性や防水性を高めます。
※タールは、有機物質の熱分解によって得られる、粘り気のある黒から褐色の油状の液体。木材を乾留したときの木タール、石炭を乾留したときのコールタール。
囲炉裏
- 自在鉤(じざいかぎ)
天井から吊るされた先端が鉤状のもの。囲炉裏の火力を火からの距離によって調節するため高さを上下に自由に変えられる構造。 - 横木
自在鉤上方に付いている自在鉤を任意の位置で留めるためのてこ。 - 炉縁
囲炉裏の縁。 - 火棚(天棚)
囲炉裏上部に天井から吊るす木や竹製の板。囲炉裏より大きく作られ、上部に舞い上がる火の粉を防ぎ、煙や熱を拡散させる。
茅葺屋根で有名なのは、岐阜県の白川郷地方の合掌造りの集落です。1995年に世界遺産に登録されました。茅葺屋根の家の中には必ず“囲炉裏(いろり)”があり、住居として毎日焚かれていた時代には茅葺き屋根の耐久年数は50年から80年くらいはもったそうです。現在は30年周期で屋根の葺き替えをしています。
白川郷観光協会ホームページを参考にしました。
>>>「一般社団法人白川郷観光協会ホームページ」を見る(外部サイト)
縁側(エン)
日本家屋における縁側の起源は奈良時代の法隆寺といわれています。平安時代の貴族住居の母屋の周囲に「ひさし間」がつくられるようになりました。
秋の十五夜のかざり
9月23日に訪問したこともあり、十五夜のかざりを見学することができました。団子、芋の供え。ススキの飾り。南庭を臨む。
茅葺屋根
一之江名主屋敷の主屋茅葺屋根は、2006年に全面的な葺替工事が行われました。材料はススキ。2016年には、北側と西側の一部で一部葺き替えが行われました(差茅:さしがや)。管理人の方にお話しを聞いたところ、野鳥がきて葺を引き抜いてしまうそうです。
一之江名主屋敷 屋敷畑
ここで自家用の野菜や薬草を栽培していました。
一之江名主屋敷 展示室
2016年には歴史公園として整備され、展示室も完成しました。
一之江名主屋敷の模型
金魚葉椿(きんぎゃはつばき)
金魚葉椿は長屋門を入って左方向にあります。葉の形が金魚にそっくりのため「きんぎょはつばき」と呼ばれます。
城立寺 田島家菩提寺 田島図書が開基した寺院
城立寺(一之江名主屋敷近くにある日蓮宗寺院)は、田島図書が寛永5年(1628)に開基。境内を入って右側の田島家墓所(平成26年整備)には田島図書の墓(区登録史跡)と石造釈迦如来坐像(区登録有形文化財)があります。
城立寺の入り口には以下のような案内があります。
田島図書の墓(江戸川区登録史跡)
田島図書は、一之江新田の開拓者で一之江名主屋敷の田島家の先祖です。田島家に伝わる口伝によると、図書はもと豊臣方の家臣で堀田図書盛重と名のっていましたが、関が原合戦後逃れて西一之江村大杉の田島庄兵衛方に寄寓、田島図書秀丈と名をかえて開拓を進め、この地の草分けとなりました。図書は当寺の開基として「正善院日慶」と号し、寛永20年(1663)12月25日に没しました。墓は墓地中央、釈迦如来坐像の後にあり、笠付きのもので、「妙法正善院日慶」の法名が刻まれています。