江戸川区も戦場になった国府台合戦~市川市歴史博物館の歴史資料を見学
市川市は、江戸川をはさんで江戸川区の隣接する自治体。江戸川区の歴史に関連する資料を見学に行ってきた。
市川市歴史博物館は鎌倉時代からの市川の歴史や文化を紹介する博物館である。市川市における平将門伝説にはじまり、国府台合戦、江戸幕府とのかかわりなど詳細な資料が展示がされている。江戸川に関連する行徳の塩づくりの展示も充実している。ただし、基本的に展示物などは撮影禁止になっていて、写真を掲載することができない。
- 利用時間 午前9時から午後4時30分
- 入館料 無料
- 休館日 月曜日、年末年始(12月28日から1月4日)/月曜日が祝・休日の場合は開館し、翌日の火曜日が休館
設立の趣旨として以下のような文章が提示されている。
市川市歴史博物館は、考古博物館が扱う原始・古代の分野につづき、中世以降の分野を担当し、両館を通じて市川市の歴史全体が理解できるよう配慮しました。
古代から中世
平将門の伝説を中心に語られる。市川市には将門伝説があり、将門の兜や鐙をまつったという神社や将門が築いたという城跡があるそうだ。
鎌倉時代~千葉氏と市川
伊豆に兵をあげた源頼朝は、敗れて房総にのがれて力をととのえる。市川にとどまって集まってくる武士を待っていた頼朝は、やがて鎌倉に入る。このとき、頼朝をたすけた一人に、下総の武士団のかしらである千葉常胤がいた。常胤は、鎌倉幕府がひらかれると、下総の武士団をひきいて平家討伐や欧州平定で活躍した。その後、全国に守護が置かれると、下総の守護に任じられた。 守護の役所は、国府にあった市川に置かれていたのである。
伊豆に兵をあげた源頼朝は、敗れて房総にのがれて力をととのえる。市川にとどまって集まってくる武士を待っていた頼朝は、やがて鎌倉に入る。このとき、頼朝をたすけた一人に、下総の武士団のかしらである千葉常胤がいた。常胤は、鎌倉幕府がひらかれると、下総の武士団をひきいて平家討伐や欧州平定で活躍した。その後、全国に守護が置かれると、下総の守護に任じられた。 守護の役所は、国府にあった市川に置かれていたのである。
市川市歴史博物館 には、頼朝軍の経路マップが詳細に展示されている。
戦国時代~国府台合戦(こうのだいかっせん)
国府台合戦とは、戦国時代に下総国の国府台城(現在の千葉県市川市)一帯において北条氏と里見氏をはじめとする房総諸将との間で戦われた合戦である。
戦国時代になると、鎌倉時代から下総に大きな勢いをもっていた千葉氏の力もおとろえ、新しい勢力が生まれてきた。小田原に城を構えた北条氏は、勢力を巻頭全域におよぼそうとして、里見氏などの房総の武将たちと国府台を中心に戦場に二度戦った。二度とも北条氏が勝ち、市川の地域もその支配下となった。
国府台合戦では江戸川区域も戦場になったという。
- 第一次:天文7年(1538)、関東進出を目指した北条氏綱・氏康父子は、下総の小弓義明、安房の里見義尭と戦い、勝利をおさめた。
- 第二次:永禄7年(1564)、北条氏康が、国府台で里見義尭に勝利する。関東が北条氏の勢力下にはいった。
やがて北条氏も豊臣秀吉により滅ぼされる。
市川市歴史博物館 には、二回の国府台合戦の戦闘マップが詳細に展示されている。