江戸川区の歴史・名所

城東電車 昭和のはじめまで江戸川区内を走っていたマッチ箱都電

城東電車 昭和のはじめまで江戸川区内を走っていたマッチ箱都電

城東電車は城東電気軌道株式会社が経営していた路面電車です。この電車は、マッチ箱のような四輪電車であり、当時は「ガタ電」として親しまれていました。

  • 大正6年(1917)12月30日に錦糸堀(現在の錦糸町)~小松川間が開通しました(第一期線「小松川線」)。この間は3.389キロメートル。
  • 大正10年(1921)1月1日に神森~大島間が開通しました。この間は1.0キロメートル。
  • 大正14年(1925)12月31日に東荒川~今井橋間が開通しました(「江戸川線」)。この間は3.178キロメートルで、東荒川、中ノ庭、松江、一之江、瑞江、今井の停留所が設けられました。江戸川線の開通当初は、今井から都心へ出かけるには小松川橋を徒歩で渡って乗り継いだとあります。この3キロメートルを約15分かけてゆっくり走っていたそうです。
  • 大正15年(1926)3月1日に小松川線が小松川~西荒川まで200メートル延長されました。荒川をはさんだ東荒川と西荒川との間はバスで連絡しました。

荒川(荒川放水路)事業は、明治44年(1911)にはじまり、昭和5年(1930)に完成していますので、城東電車の開通時は荒川は開削中でした。
>>>「荒川(荒川放水路)の歴史と風景 旧岩淵水門と荒川河口」を見る

この城東電車について、『江戸川区の歴史』(江戸川区,1981)には、次のような記述があります。

江戸川線は料金の安さもあってバスよりも利用客が多かった。通勤・通学者、買い物の主婦、瑞江あたりから松江の銭湯に行く人、鍬を持った野良着姿ありで大人気。春には一升びんを下げた篠崎堤の桜見物の客で満員という風景もみられた。

城東電車 小松川線(1917年・大正6年開通) 線路の位置

小松川線は、大正6年(1917)12月30日に「錦糸堀(現在の錦糸町)」から「小松川」間に開通しました。下の地図の左側の「錦糸堀」から東へ向かって走っています。開通当初の「小松川」は、開削工事中の荒川放水路よりも手前にあることがわかります。

開通から9年後の大正15年(1926)3月1日にようやく小松川線が「小松川」から「西荒川」まで延長されました。小松川から西荒川までは200メートルです。城東電車江戸川線は、小松川線が延長される前年の大正14年(1925)に開通しています(以下を参照)。西荒川まで延長されたことにともない、荒川をはさんだ東荒川と西荒川との間はバスで連絡するようになりました。『江戸川区史第3巻』(江戸川区,1976)には、「東荒川と西荒川を結んで同社の連絡バスが走ることとなり、乗り継ぎ、乗り換えの不便はあるものの都心から今井までの交通はぐっと楽になった。」とあります。

荒川放水路(現在の荒川)は昭和5年(1930)の完成なので、この時期には工事中ということになります。

下の地図は時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ こon the web」((C)谷謙二)により作成したものです。

昭和5年(1930)の地図

画像 城東電車小松川線 昭和5年(1930)
城東電車小松川線 昭和5年(1930)

城東電車江戸川線 (1925年開通)  線路の位置

江戸川線は、大正14年(1925)に地図左上の「東荒川(ひがしあらかわ)」から右下の「今井(いまい)」の間の路線です。現在の江戸川区内の主要道路のひとつである今井街道よりも少し南側を走っていたようです。江戸川線は単線で、二台が両方から出発して一之江停留所ですれ違ったそうです。当時の一般的な路面電車の半分以下の40人乗りでした。

下の地図は時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷謙二)により作成したものです。

昭和7年(1932)の地図

画像  城東電車江戸川線 昭和7年(1932)
城東電車江戸川線 昭和7年(1932)

平成29年(2017)の地図

下の地図では、瑞江と今井の間に新中川が流れていますが、 この川は昭和38年(1963)3月16日に完成した人口の川(放水路)です。

>>>「新中川の歴史と風景 中川との分岐地点と旧江戸川との合流地点」を見る

画像 平成28年(2017)の地図に重ねた城東電車江戸川線
平成28年(2017)の地図に重ねた城東電車江戸川線

城東電車からトロリーバスへ

昭和13年(1938)4月1日、東京市内交通事業調整のための「陸上交通事業調整法」が制定され、この法律に基づいた交通事業調整委員会が組織されました。この委員会は2年にわたり東京の交通調整の方向を審議しました。昭和15年12月、この委員会は地域別調整案を答申します。政府はこの答申に基づいて旧市内の地下鉄道はすべて帝都高速度交通営団に譲渡し、路面交通事業はあげて東京市が買収し、または管理の受託をすることとなりました(『江戸川区史第3巻』(江戸川区,1976)。

昭和17年(1942)に東京市が城東電車を買収したことにより、「市電」と呼ばれ、翌昭和18年の都制施行で「都電」になりました。軌道は現在の今井街道(松江通り)のわずかに南を並行して走っていたということです。東京発のトロリーバスの開通により都電は昭和27年(1952)に廃止されました。このトロリーバスは小松川橋を渡りましたので、荒川放水路による交通分断は解消されました。トロリーバスはバッテリ-ではなく、直接架線から電気をとる電気自動車です。建設費が安いこと、振動が少なく騒音を発しないこと、バスよりも乗客収容力が大きいことなどの理由で採用されたようです。

トロリーバスについては『江戸川区50年史』に以下のような記述があります。

トロリーバスは、線路が必要な路面電車の欠点を補いながら、大量輸送できる乗り物としてドイツで開発されました。(中略)日本では、昭和7年(1932)に京都市で採用されたのが最初でした。
東京では、大正11年(1992)に設置の計画がありましたが、翌年の9月の関東大震災のために実現しませんでした。(中略)戦後間もない昭和26年(1951)2月、東京都に臨時トロリーバス建設室が設けられ、建設準備がはじまりました。4月14日に無軌条電車(トロリーバス)の旅客営業特許が東京都に与えられ、ようやく実現にむけて歩をすすめることができたのです。その第一期工事が、当初計画5路線のひとつ、今井橋(江戸川区)~亀戸駅前~上野公園の路線でした。昭和27年(1952)2月28日着工、予定通り5月19日に工事が完了し、翌5月20日に営業を開始しています(12.54km)。

江戸川区『江戸川区50年史』p.24より引用

城東電車を運営していた城東電気軌道株式会社の詳細については、枝久保達也(2017)『城東電気軌道百年史』Happiness Factoryを参照されたい。

江戸川区図書館/デジタルアーカイブにおいて、『沿線案内城東電車』が高精細画像で公開されているので参照されたい。この沿線案内には「城東電車線路案内」、「古蹟名所案内」、「普通賃金表」などが掲載されています。

>>>『沿線案内城東電車』を見る(江戸川区図書館デジタルアーカイブ・外部リンク)

松江公園と一之江境川親水公園にある軌道跡のモニュメント

松江公園のモニュメント

都電の走った町―松江
大正14年(1925)、松江公園の北側を城東電車が走りました。たった一両の小さな電車です。ゆったりとした速度で今井橋と東荒川を結び、さらに西荒川から錦糸堀まで通じていました。昭和17年(1942)には東京市経営の「市電」になり、翌年「都電」となりました。やがて昭和27年に今井~上野公園間に東京で初のトロリーバスが開通すると、今井橋~東荒川間の都電は廃止されました。そのトロリーバスも、昭和43年には姿を消しました。
このレールは、松江を走った都電の思い出を込めて設置しました。

画像 城東電車のモニュメント
城東電車のモニュメント

画像 松江公園にある城東電車のモニュメント
松江公園にある城東電車のモニュメント
画像 松江公園にある城東電車のモニュメント
松江公園にある城東電車のモニュメント

>>>一之江境川の歴史と一之江境川親水公園の風景」を見る

城東電車に関しては『なつかしの鉄道写真館』サイト(外部)の「城東電車江戸川線とトローリーバス」に詳しい解説があります。

一之江境川親水公園のモニュメント

城東電車は私営の路面電車で、明治44年(1911)3月、当時の本所区錦糸町と瑞江村大字上今井の間に敷設の許可がおり、大正6年(1917)12月に錦糸堀―小松川間が開通、大正10年1月には水神森―大島間が開通しました。そして、大正14年12月に東荒川―今井橋間が開通し、翌大正15年3月には小松川から西荒川までが延長されて、東荒川との間には連絡バスがはしりました。

昭和17年(1942)に東京市の市営になり、翌年の都制施行によって都電とよばれましたが、翌年27年に東荒川―今井橋間は廃止され、上野公園―今井間を葭った都内初のトロリーバスにかわりました。

この路線は、昭和43年から都営バス路線として今も運行されています。

平成8年4月 江戸川区

画像 一之江境川親水公園にある城東電車のモニュメント
一之江境川親水公園にある城東電車のモニュメント
画像 一之江境川親水公園にある城東電車のモニュメント
一之江境川親水公園にある城東電車のモニュメント
画像 一之江境川親水公園地誌
一之江境川親水公園地誌

江戸川区内の鉄道・バスの歴史

総武鉄道

明治27年(1894)に錦糸町~佐倉間が開通しました。江戸川区内最初の駅は明治32年(1899)開業の平井駅。翌月に小岩駅開業。明治37年(1904)に両国駅まで延長されました。

京成電鉄

大正元年(1917)に押上~江戸川間が開通しました。大正3年(1914)に江戸川に鉄橋が架けられ、市川新田までが開通しました。大正10年(1921)には、押上~千葉が開通しました。

路線バス

大正9年(1920)に小松川~八幡町線が営業を開始しました(葛飾乗合バス)。

トローリーバス

昭和27年(1952)、都内初のトローリーバスが今井橋~上野公園を走りました。架線から電気を取り入れるバスです。昭和40年代に路面電車とともに廃止されました。

地下鉄 東京メトロ 東西線

昭和44年(1969)に東陽町~西船橋間に東西線が開通しました。このときに江戸川区内に葛西駅が誕生します。昭和54年(1979)には西葛西駅が開業しました。

地下鉄 東京都交通局 都営新宿線

昭和58年(1983)には都営地下鉄が東大島~船堀間が開通しました。昭和61年(1986)には船堀~篠崎が開通。平成元年には本八幡までが開通しました。

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