一之江境川の歴史と一之江境川親水公園
一之江境川の歴史
「一之江境川」の由来は、東一之江村と西一之江村との境を流れる川ということにあります。江戸時代中期に水元の小合溜井を水源とする仲井堀から現在の江戸川区一之江一丁目二番の地先で分流し、南に流れ、松江、船堀五丁目を経て、旧東船堀村と旧二之江村との境(現船堀六丁目と七丁目)で新川に合流していました。昭和38年(1963)に新中川が開削されるまでは、両流域の村々の用水または 舟運路として大いに利用されていたようです。
昭和30年(1955)以降、「小松川境川」と同様、流域の都市化にともない、一之江境川にも家庭排水などが流れ込むようになり水質が悪化しました。その後、江戸川区内の下水道の整備により排水路としての役割を終えることになったのです。
江戸川区は、1972年(昭和47)に下水道整備によって不用になった水路を清流に再生させる『江戸川区内河川整備計画』を策定し、古川親水公園の整備を行いました。1989年(平成元)には、新たに『親水公園・親水緑道整備計画』を策定し、親水公園7路線・親水緑道11路線を整備することを決定したのです。その後、従来の親水公園の機能を拡大して、子どもの遊び場のみならず、自然の生態系を回復させた親水公園を造る方向に転換しました。
一之江境川親水公園
一之江境川親水公園は平成4年11月に着工し、“街のなかで自然と親しめる水辺の小道と魚や水生生物がすむ清流”として平成8年に完成しました。
一之江一丁目の最上流地点から、せせらぎゾーン、であいのゾーン、にぎわいのゾーンを含む全長3.2キロメートルの親水公園。水は人工の川である新中川から取水し、そのまま使用しています。水深40~60センチメートル。魚や昆虫が生息できるように1メートルの5か所の深場と川底に粘土質の荒木田を敷いた2か所の浅瀬を設けています。なお、子どもたちが遊べる場所は、本流の流れを迂回させ、水道水を循環ろ過した水を流しています。
【受賞歴】
一之江境川親水公園の受賞歴
・平成23年度「手づくり郷土賞」(一般部門)受賞
・平成20年度「第19回みどりの愛護」功労者国土交通大臣表彰受賞
>>>新中川の歴史と風景 中川との分岐地点と旧江戸川との合流地点を見る
明治42年の一之江境川付近の地図
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この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成。
一之江境川親水公園地誌
一之江境川親水公園地誌
一之江境川の由来
東一之江と西一之江の境を流れることから、一之江境川とよばれるようになりました。応永5年(1398)の「葛西御厨注文」という古文書に「東一之江」「西一之江」の地名が見られます。自然の河川ですが、江戸時代中期に中井堀が整備されてその分流となりました。用水として利用されるだけでなく舟運路でもあり、東一之江・西一之江・新堀・鹿骨・一之江新田の五か村で組合をつくって藻刈りや川浚いに力を合わせていました。昭和30年代以降急速な流域の都市化がすすみ、家庭排水が流れ込むようになり、水質も悪化しました。しかし、下水道の整備により排水路としての役割も終え、再び親水公園として蘇りました。
平成7年4月 江戸川区
一之江境川親水公園の見どころ
一之江境川親水公園の始流
桜
ツツジ
藤
城東電車
>>>昭和のはじめまで江戸川区内を走っていた城東電車(マッチ箱都電)を見る
一之江抹香亭
夏の風景
一之江境川親水公園沿いを散策して見所を紹介
>>>江戸川区歴史散策 一之江境川親水公園を歩くを見る