江戸川区100年の人口変化の歴史

江戸川区100年の人口変化の歴史

江戸川区(域)の人口は、この100年の間に39,386人(1920年:大正9年)から681,298人(2015年:平成27年)にまで増加しました。17倍以上です。

  • 関東大震災(1923年:大正12年)直前:約45,000人
  • 震災の被害が大きかった東京旧市街の人口復帰が緩やかであり、江戸川区域も市街地化への道を進む(東京市域拡張)。
  • 5年後の1928年(昭和2年):約90,000人

100年の人口変化のグラフ

江戸川区『統計江戸川』より作成しました。

画像 100年の人口変化のグラフ
100年の人口変化のグラフ

オレンジの棒グラフ部分は予測人口。江戸川区の人口は、2025年の694,160人をピークとして人口減少期に入ると予測されている。2020年は692,733人、2030年は690,311人、2035年は684121人と予測。

下のグラフは、総務省統計局 「平成27年国勢調査人口等基本集計結果」より作成しました。

画像 100年の人口変化のグラフ
100年の人口変化のグラフ

江戸川区誕生以降の人口の変化

江戸川区誕生時人口

1932年(昭和7)に江戸川区が誕生したときの人口は約10万人であった。統計によると、1930年にはじめて10万人を超えた。この時点で、1872年(明治5)と比較すると4倍強である。1933年(昭和8)の総武線の電化が江戸川区の都市化を進めることになり、1933年(昭和9)からは年間1万人以上の人口増加となった。1943年(昭和18)には19万3000人となった。

戦争による人口減少

戦争の影響により、一時的に14万人(『江戸川区政50年史』では12万人まで減少と記述)にまで減少するが、1950年(昭和25)には20万人を超える水準に達する(『江戸川区政50年史』では1949年(昭和24)には20万人口の都市となったと記述)。

戦後の高度経済成長期の人口変化

昭和30年代にはいると、都心部の地価が高騰し、東京都全体にいわゆるドーナツ化現象が見られた。都心部から周辺部への人口の拡散は江戸川区に大きな影響を与え、1960年(昭和35)頃から区の人口は急増し、1961年には30万人を超え、1966年には40万人を超える人口規模となる。わずか5年間で10万人の人口増となった。しかし、1960年代後半(昭和40年代)以降は周辺区部にもはじまった地価の高騰により人口増加が鈍り、1969年(昭和44)以降人口増は1万人台を下回ることになったのである。

その後、1984年には50万人超え、そして1999年には60万人を超えた。80年代から90年代の15年間で10万人増となった。2016年の統計では、686,387人となっている。

  • 江戸川区が発足した1932年(昭和7年):103,511人※(『統計江戸川』)
    ※『江戸川区50年史』には、100,351人との記述がある。
    南葛飾郡の小松川町・松江町・葛西村・瑞江村・鹿骨村・篠崎村・小岩町の7町村が合併して江戸川区となる。

 人口動態(出生・死亡および流入・流出

1950年代はじめから2015年までの自然動態と社会動態をみてみる。

出生・死亡(自然増減)

1966年は丙午(ひのえうま)であり、出生数が極端に低くなっているが、その年を除くと、1972年まで急速な伸びを示している。その後は、1983年前後まで一貫して低下傾向が続く。1990年代は、出生数の上昇がみられるが、死亡数の増加により、自然増は横ばいの状態になる。自然増は、1998年を境に低下傾向となり、2008年以降は年間の増加人数が2000人を切っている。2015年は、557人の増加にとどまっている。

※縦軸の単位は(人)

江戸川区『統計江戸川』より作成(クリックで拡大)

流入・流出(社会増減)

下の社会増減のグラフから、上でみた1980年代から90年代の終わりまでの急速な人口増は、社会増であることがわかる。1986年の1年間に約9,000人増となっている。その後、東日本大震災の影響もあり、一時的に社会減となったが、2013~2015の3年続けて、社会増加となっている。

※『統計江戸川』(江戸川区発行)には、1966年以前の統計が掲載されていない。
※縦軸の単位は(人)

江戸川区『統計江戸川』より作成(クリックで拡大)