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親水公園 河川・水門・橋

小松川境川の歴史と小松川境川親水公園の風景

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元禄5年(1692)に松尾芭蕉は「秋に添うて 行かばや末は 小松川」という句を詠んだそうだ。これは深川芭蕉庵から小名木川にそって秋景色をたずね、末は小松川まで行こうという意味らしい。

この小松川は上小松村(現葛飾区新小岩付近)から流出した自然河川であり、西小松川村と西船堀村の境で新川に注いでいた。当時すでに東西に分かれていた小松川村の境を流れていたので、「小松川境川」とよばれた。江戸時代には、舟が自由に行き来し、農業用水はもとより肥料(肥船)や農作物を運ぶ川として重要な役割も果たしていた。ここに暮らす住民は、農業中心であり、江戸への野菜供給地として特産品の小松菜などが大量に生産・出荷していた。

昭和30年(1955)以降、流域の都市化にともない小松川境川にも家庭排水などが流れ込むようになり水質が悪化した。その後、下水道の整備により排水路としての役割を終えることになった。

江戸川区は、1972年(昭和47)に下水整備によって不用になった水路を清流に再生させる『江戸川区内河川整備計画』を策定し、古川親水公園の整備を行った。1989年(平成元)には、新たに「親水公園・親水緑道整備計画」を策定し、親水公園7路線・親水緑道11路線を整備することを決定した。昭和57年(1982)に「せせらぎのゾーン」が完成したのをはじめ、平成5年(1993)には全長3.9㎞の親水公園となり、清流がよみがえったのである。

▼明治42年の地図
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この地図は、時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」((C)谷 謙二)により作成したものです。

【春の風景】
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