明治時代の江戸川区

明治時代の江戸川区

明治21年(1888年)4月の市制・町村制の公布によって、小松川・平井・葛西・松江・船堀・瑞穂・一之江・鹿本・篠崎・小岩の十村が誕生した。

明治42年(1909年)の南葛飾郡

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当時の江戸川区は南葛飾郡であった。

中川は、現在の葛飾区、墨田区、江戸川区、江東区を流れる川であり、東京湾に注いでいる。赤線で囲った部分が現在の江戸川区の区域。中川は、江戸川区の西側を流れる蛇行した川。

この時期は、まだ荒川放水路(現在の荒川)中川放水路(現在の中川)が存在していない。また、江戸川区の東側を流れる江戸川は江戸川区沿いに流れている流路のみであり、現在の江戸川(放水路)はまだ存在していない。さらに、現在の江戸川区の真ん中を南北に流れる新中川(放水路)も存在していない。現在の江戸川区の葛西地区を東西に流れる新川が、江東区の小名木川へと続く水路であることがわかる。

明治42年と平成28年の地図を重ねた地図

明治42年(1909年)と平成28年(2016年)の地図を重ねたものがしたの図である。

明治42年と平成28年の地図を重ねた地図

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現在の地図を重ねると、荒川放水路、中川放水路、新中川放水路の建設によって、中川が分断され、江戸川区内の膨大な土地が水没したことがわかる。
他方で、江戸川区には葛西以南に膨大な広さの埋め立てが完成していることもわかる。

関連情報

南葛飾郡の歴史的な変遷は、日本の国郡「第11話 近世に二つの国に分割された唯一の郡」(齊藤忠光)を参照されたい。